自分がいなきゃ現場は回らないと思ったら

自分がいなきゃ現場は回らないと思ったら、間違いの元になる。
仕事でも人間関係でも代わりは幾らでもいる。
自分がやらなければ、誰かがその穴を埋める。そう思わなきゃ。


昨日、今日とスタメンで出れても、明日は出られるか分からない。
世間はそういうもの。一生懸命やってクビになる事はあるし、適当にやって上に昇ることはある。
不完全なものに完全を求めても空しいだけ。だから、今日の仕事に全力を尽くす。一所懸命というもの。
自分の誇り、矜持として。誰に恥じることも無い、胸張って上向いて歩いていこう。
それが本当のプライドなんじゃないかと、僕は思ってます。


「この仕事は自分しかできない」「この人には自分がいなきゃ」
それは幻想であって、自分の願望に過ぎない。そうあってほしいことと、現実は違うから。
現状を分析するときには希望、願望、感情を捨てて、良い情報、悪い情報を両方並べて、
理性で判断すれば間違いは無いと思っています。
願望が入るとどんどん現実と実態は離れていってしまう。
情報を判断したら『逆算と準備』『確率と思い切り』。

代わりは幾らでもいる、それは事実。だけど、やれること、やることは一人一人違う。
同じことをやっても、おもしろいことに絶対に個人差が出てくる。
「誰がやっても同じならやらない」と悲観する必要は無いんですね。
地位(ポジション)と、実際何をやるかという行動は別物。
味は人それぞれ違うから、歴史は止まらないわけで。

なにかしら育てるっていうのは、そんな味とか良いところを見つけることじゃないでしょうか。
だから、監督なり演出するにしても、自分の持っている力を100%出してくれればそれで最高なんです。

勝負事について(ふくしまノート)

勝負に負けて悔しくない人はいない。
何事も完璧なものはない。失敗したくてしてるわけじゃないんだから。
人間のやる事です。ミスだってある。ただ、大失敗だけしないように気をつけて下さいと。
人命や教育に関わる部分は特に。

人生、負ける事だってあります。負けっぱなしの恥かきっぱなしですよ、僕は。
むしろ、生きてる間、負ける事の方が多いんじゃないでしょうか。
負けて得るものはありますよ。負けて何を見つけるか。それで課題を見つけて、
実際に克服してくれれば、僕は一勝に等しいと思ってます。

なぜなら、自分を理解できれば大成するから。
自分を分析できないから伸びてこない。
気付かないとき、気付かせてくれる人がいればありがたいし、
思わぬところで映像や文章、歌のフレーズに出会って気付いたりする。

自分が分からないって人がいるけど、『得意な事は何?』って聞きます。それを
とにかく伸ばせば良い。得意な事が無い人は存在しないので。他人から見て
長所なのに、本人が『私に得意な事なんてありません、長所なんてありませ
ん』って言い張ってるだけ。

人間社会って、お互いの欠点認め合って、なんとかしていくのが基礎じゃない
かな。僕はそう思う。自分の一番の長所をどうやって最大限に出してこの世界
で生きていくか。『こういうことをやらせたら私は絶対の自信がある』『この分野
に持ち込んだら、任せてくれ』『これだけはできる』それで良いんだよ。それで、
自分がやられて嫌な事は、他人には決してやらない。たとえ、やられてもね。

そういう存在になったら、幸せですね。輝いてると思う。それが僕の思うプロフ
ェッショナル。年齢だの、ビジネスだの、社会的成功うんぬんは関係ない
ですね。だから、必ずしも全てを追っかける必要はないと言ってます。全部追っ
かけられる人は追っかけたら良い。全部100点の人がいるなら、1科目1000
点の人がいて良いじゃないですか。

だから最低限、負けたくないという気持ちを出そうよと。仮にその後負けてもね。
勝つにこしたことはないですよ。当然のことだから。それをあえて言うつもりは無いです。
ただ、全部勝てるのは一握りの人間。人生勝ちっぱなしで逃げ切れると思ったら、
足元すくわれると思う。そう簡単なゴールじゃない。

普段やれる事をきちっとやって、たまには自分の力以上の事をやれる人。僕は
そんな人間を目指しますよ。そんな人が好きだから。

大一番でも小さな事でも、僕は一緒でありたい。この作品は真剣に、この作品は適
当にやるなんてしたくない。すべての作品に自分として最高のものを求めま
す。自分のできることや得意なことは完璧に、ということです。でないと、悔いが
残るから。全力でやって跳ね返されたなら、自分の力不足だって認める。だっ
たら、今度は足りない力を付けたらいい。戦い方を変えればいい。でも、余力
残してたら、『あの時、ああしておけば、こうしておけば』となる。それは評論家
の仕事であって、僕の仕事とは違う。

自分の行く手を阻む人間を超えるには、大変な労力がいるのは事実で、それ
を惜しむか惜しまないか。実力を持ってる人は努力してる。だから、同じことを
やっても抜けるわけがない。相手もこの一秒一分技術が上がってるんだから。
でも、一番きつい思いをしてるのは、先頭を走ってる人でしょう。見えないもの
を追いかける。見えないから抜かれてなるものか、になる。それが一流というこ
とじゃないでしょうか。苦しいけど、楽しいと思いますよ。

pixivに初投稿

イラスト投稿サイト、pixivに登録しました。
『LINK』ページにも、リンクを貼ってみました。
 ふくしま姉魂コーナー→http://www.pixiv.net/member.php?id=4020931
色んな作家さんが発表されていて、楽しいですねー。

思い出しますねー。
幼い頃漫画家を目指してたんですが、挫折しましてね。
世界を全部描けるのが漫画の苦労であり、楽しみでも、最大の長所でもあります。
漫画クラブも友達と作りましたね。会報も。思えば、あれが同人誌だったのか。
小学校時代の話ですが、夜遅くまで印刷機を回して、インクだらけに
なったのも良い思い出です。クラブ全員の漫画を載せて。厚さ10cmの
分厚い本でしたがね。

挫折後、シナリオと役者を目指したわけです。
そして、演出や監督もやらせてもらい。
ありがたいことです。

自分は絵師さんではないですが、ほんのすこーしだけ、その道を目指して
いたということが、芝居の演出や映像を監督するときに役立っているような
気がします。美術を発注するときなどは、そうですね。
イメージは伝えますが、デザイナーさんのインスピレーションを大事にします。
デザイナーさんのタイプにもよりますけれど。
がっちりデザインを決めた方がやりやすいという場合は、決めますし、
大まかなラインだけであとは任せて欲しいという場合は、そのようにします。

チームワークの考え方(ふくしまノート)

『チームワーク』とはなにか?
=互いが持つ能力の限界までベストを尽くし、目標を達成すること。
 そこで生まれる高い意識の連帯感である。

ふくしま姉魂チームの考え方

  1. ・グラウンド(パブリック)で結果を出すことに集中する
  2. ・グラウンド外(プライベート) は各自の自己管理に任せる
  3. ・公は公、私事は私事。個人の好き嫌いでなく、能力と適性で起用する
  4. ・私事で公に支障を与えた場合はペナルティとなるが、そうならないように自律してほしい
  5. ・ポストはそれぞれの役割の違いであって、人間の偉さの高低ではない
  6. ・まず、仕事は自分のためにやる。それが社会のため、他人のためになっていく
  7. ・同じ方向性を向いている限り、どんなに意見が異なっても、やり方はできるだけ現場に任せる
  8. ・目標が達成できなかった場合は、結果を非難するのではなく、やり方を修正させる



『チームワーク』。

日本では良く聞く言葉ですが、アメリカなどには存在しない概念らしいですね。

少なくとも、プロの世界においては。
諸説ありますが、欧米のボーイスカウト活動で、どうしても運動が苦手であるとか、
身体が弱い仲間を助けること、その身体の両脇を支えることが発祥という説が
あります。弱者を助けてあげることが『チームワーク』というわけです。

ですから、たとえば、アメリカのベースボール・メジャーリーグ。
メジャーの選手は全員選ばれた強者・プロフェッショナルだから、 弱者は存在しない。
なので、チームワークは存在しないんですね。各自がベストを尽くすだけ、という考え方。
「君はプロだろ?自己管理しなさい。これこれの目標を達成しなさい」と。
できなければ、すぐクビになる世界です。

特にアメリカでは、職掌・その人がやるべき仕事の内容が細かく文書にされる
のは有名ですよね。だから、その決められた仕事内容以外はやらないし、逆に
やってしまうのは他の人の仕事を取ることになるので避けられる。
考え方がボトムアップですよね。

ともあれ、日本式に全員が協力して、互いの弱点をカバーしあいながら、
大目標を達成するのは素晴らしいと思います。良い意味でなら、好きなんですが。

日本では『チームワーク』が、悪い意味で唱えられてきたんじゃないかなと、思いますね。
『後ろ向きのチームワーク』。これには注意しないと。
例えば、新しいことや群を抜いて凄いことをやる人は『チームワーク』の名の
もとに、出る杭として打たれてきたように思います。

実際、あった例ですが、普通の人が「1」の仕事をするとき、「100」出来る人が
いたんです。仕事の方向性も間違ってないし、チームとしての目標にも合致する
ただ、上司が何といったか。「みんな君のように仕事は出来ない。謹んでくれ」
上司だけでなく、同僚も、さらにその上の経営陣・責任者も同じ意見だったんですね。
結局、この方は、フリーになるしかなかったんですが、理解に苦しみましたね。
誰に迷惑を掛けるわけでもなく、逆に貢献しているのに、不利益を被る。


他にも、チームワークを叫びながら、派閥を作って足の引っ張り合いをやる、
言行の不一致、感情で人を使う、こういう方々もいましたね。
そんなことも見聞し、長らく『チームワーク』という言葉には注意しないとと、
思っていましたね。

ただ、自分の中で考え方が変わったのは、激戦地から帰還した元兵士、元指揮官の
見解に触れてからでした。
それは最後は『量より質、質より和』であると。
激戦地のガナルカナル、インパール、硫黄島などで地獄を見た方々の言うところで、
傾聴に値する言葉でした。飢餓、疫病、戦闘・・・・・・シビアな状況になるほど、
弱肉強食でなく、和と人間性で生き残る、と。実体験から出た言葉は重い。
以来、良い意味での『チームワーク』に抵抗はなくなりました。

冒頭のメモは、それから考えたものです。
『量より質、質より和』です。






県民としての矜持

震災後、自分なりにルールを決めています。
それは『世の役に立つものを作る』というものです。
作品自体が、手間とお金を掛けるに値するかどうか。
復興や社会貢献に寄付した方が良い、時間を使った方が良い、
そう判断するときは制作せず、そうするということです。

震災前は同人活動ですから、好きなもの伝えたいものを採算度外視で
制作する。そういう同人の基本をメインに、世のため人のためというのは
副次的要素であったんですが、明確に順番が変わりました。

もちろん、個人ごとに『世の役に立つもの』の基準は違うと思うんですが、
僕が考えるモノを作品に込めていきたいと思います。
どう評価されるかは別にして、自分の中で少なくとも、
その矜持は持っておきたいですね。